海難貴家族生活
救命衣を着用せず娘婿と海を失う

私は、小博市漁協婦人部に所属しております鳥瀬と申します。
私の家は、明治の時代から代々漁業を営み、私の代で五代目になります。
私の子供は娘ばかりで、三女に婿養子を迎え漁業を継いでもらいました。
娘婿は、生まれて以来船に縁がなく、まして漁師になるなどとは夢にも思わなかったでしょう。それが三十六歳で漁師になり、血のにじむようなつらい思いをして仕事になじみ、去る平成四年八月まで十数年間大過なく過ごしてきました。
その間沖で水船になったり、波をかぶり海に投げ出されたり、いろいろなことがありましたが、不自由ながらもオレンジベストを身につけて操業していたため無事でした。
しかし、十年も経ちますと、今までのベストでは思うように体の自由が利かず、いつの間にか着なくなったのです。まして八月の暑い季節は、ホッキ貝の桁引き作業には特にじゃまになると言って着ませんでした。
そして思いがけない事故に遭ったのです。その日(八月九日)は小雨の降るうす寒い日でした。いつも軽装で出かけるのですが、その日に限って合羽の上下を着て、長靴もいつもより深いのを履き、装備を完全にして出かけたようでした。
そして午前七時過ぎに事故に遭いました。おそらく八尺の桁にはねられたのではないかとのことでした。オレンジベストを着ていれば、あるいは浮かび上がり、近くの船に助けられたのではないかと「後悔先に立たず」の言葉どおり悔やまれてなりません。
いずれにしても本人の不注意、心の緩み、それに仕事に対する慣れと油断が原因だと思っております。四十八歳を最後として亡くなったのです。
たまたま今年、小樽市漁協婦人部の新年総会に海難防止センターから公開されましたべストは、着心地も風通しもよく、軽くて作業にも、とても桑なようにできていました。もしも、あのときこのようなベストがあれば、あるいは着て操業していたかもしれません。前にも申しましたが「後悔先に立たず」の言葉どおり、災いは自分の身に降りかからなければ分かりません。皆様は、永年漁に携わっておられますが、おそらくオレンジベストを着ておられる人は少ないと思います。けれども万が一事故に遣われたら、自分一人の命ではありません。家族、身内にとっては大悲劇です。自分だけは大丈夫と思っていられるでしょうが、いつどのような事故に遭うか分かりません。
オレンジベストも年々改良されて、着心地もよく操業にもじゃまにならないものが出てきております。ご家族のためにも必ず身につけるよう組合も義務付け、皆様も実行してください。
私も、生まれてから漁師の家に育ち、七十数年間海とともに暮らし、今は後継者がいなくなり海から離れることになりました。誠に悔しい思いです。
どうぞ皆様、家族のため事故のない操業をされ、大漁なされますよう心から祈っています。つたない体験談では。こさいましたが、命は一つしかありません。くどいようではありますが、オレンジベストを必ず身につけ、安全操業に心がけてください。
最後までご静聴ありがとう。こざいました。
〔北海道漁船海難防止センター小樽支部の標語〕
父ちゃんとオレンジベストは友達さ今朝もみたみた大漁の夢
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